とりあえず深呼吸して

アウトプットの練習用。試行錯誤中。

【読書記録】訂正する力 東浩紀

 なにか世の中を賑わす出来事があったり、世の中の風潮だったりを見聞きする時、「あの人ならどう考えるんだろう」と思う人が、今、2人います。作家で哲学者の東浩紀さんと、占星術の師匠ミカミ・ポーラ先生です。

 東浩紀さんは、哲学を学んでる人や論壇に詳しい人なら当然知っているような著名人ですが、私がその存在を知ったのが、2年ほど前のこと。Youtubeで初めて見たのですが「なんと頭がよくて、世の中の解像度の高い人なのだ」と驚きました。それ以降、彼の経営する会社のプラットフォーム「シラス」(ニコ動を知的にした感じのもの)に課金してます。興味あれば是非。知的好奇心が刺激されまくりです。(おすすめは清水亮さんとのAIの回)

 で、その東浩紀さんの「訂正する力」を読んだ読書記録を本日は書こうと思います。

 この本を大まかに要約すると、この社会に必要なのは「訂正する力」だと言うこと。昨今、ブレないことや変わらないことが良しとされ、間違いがあっても、謝らない、訂正しない。それにより世の中が、硬直しているという問題意識からはじまっています。大切なのは過去を認め、「実は……だった」と物語をつくりながら訂正していくのことが、社会や企業、ひいては生きていく上で「老い」を前向きにとらえていくために大切なことだと言うこと。

 と、書くとなんか、当たり前な事を言ってるようだけど、日本人はとかく「変わる事」「変える事」に拒否反応を示しがちですよね。実際は、変わっているし、変えているはずなのに。それは過去を否定するわけではないのに、変えてしまう事で、まるで過去を否定するかのように感じる人が多いのかもしれません。(会社で代々続いていたルールを廃止すると、OBが怒り出すみたいなことってありますよね)。この本は、「訂正する力」に関する時事問題から始まり、理論述べ、いかに実践していくかが書かれています。

 個人の人生における「訂正する力」のテコとなるのが、固有名詞になるということ。固有名詞にならないと、「実は……だった」という発見の視線にさらされない。他者が自分を固有名としてみてくれないと、自分の人生も訂正できない。「この人はこんな人だったのか」と再定義されることが大事。

 世の中には社会的属性がいろいろあります。「社長」「課長」「OLさん」「派遣さん」「お父さん」「お母さん」「奥さん」ではなく、固有名詞としての「〇〇(名前)さん」になろうということです。忙しい現代社会で時間の余裕や心の余裕がないとなかなか難しいのでしょう。(その点、欧米人は上手な気がする。挨拶の初めにどうでもいい会話からはじまるから。でもそのどうでもいい話が意外と大事)

 ところで、私の人生最大の訂正(今のところ)は、40代にはいって結婚したことでしょう。それまでは結婚とは無縁の独身キャリアウーマン。結構、社畜。20代30代は結婚なんか絶対しないと公言し、独身生活を謳歌していた。きっかけがあって人生を見つめ直すことになり、そこから出会った人と結婚しました。「人生を訂正しよう」と思ってのことではありませんでしたが、結果的に人生が変わりました。「実は……だった」というストーリー変化があったのかと考えると、「実は寂しかったのだ、ということに気づいた」という変化は確かにありました。

 かつては結婚についてはネガティブに捉えていましたが、予想外に結婚生活が安定していいものだと発見し、価値観も変わりました。結婚はしてもしなくてもいい、本人の自由と考えていたし、今でもそう思います。でも、予想外によかったので、周りにもいいよと伝えています。(周りは「あなたがそれ言う?と驚き顔)

 基本的なスタンスとしてこの本は、「これが正しい」とか、「こうすれば議論に勝てる」とか、そんな指標で書いていません。では何を目的に書いているかというと、「どうしたら人生がより豊かなものになるのか」という観点から書いているのです。昨今の論破ブーム(ひろゆきブーム)だったり、勝ち組負け組という世界観に辟易している私にとって、読んでいてとても心地のいい読書体験でした。